こんにちは、あのたまです。
皆さんは「ダグラス・ハーディングの指差し実験」をご存じですか?
「悟り」や「非二元」の方を探求していると、よくこの実験が紹介されていることがあるので、もしかしたら一度は耳にしたことがあるかもしれません。
私自身も、そういう意味で何年か前からこの実験の話は知っていました。
しかし、ちゃんとやってみた、というのは実はつい最近のこと…(;^ω^)
そして、実際やってみて…。
「!!!!?…」という、なんとも言葉に出来ない感覚を味わったので、せっかくなのでそのことについて書いてみたいと思います♪(#^^#)
ダグラス・ハーディングの実験とは何か…?
人差し指を突き出して、周りに見える「物」を指さしていきます。例えば、部屋の中にいたら、カーテン、机、スマホ、プリンター…etc.、といった具合に。
人差し指は物質です、さされた物も物質です。「物質」対「物質」ですよね。
そして、自分の膝、足、腕などを指さします。お腹、胸へと場所を移動して続けます。
最終的には自分の顔を指さします。
すると、どうでしょう…?目の前に何が見えるでしょうか…?
頭でごちゃごちゃ考えずに、ありのままを見ると…。あれ…。
自分の指…、と、そっくりそのまま、外の世界が見える。
自分の顔があると思っていたところ、頭があると思いこんでいたところに、顔が無い!
頭がない…!?
さて、ここまで読んで、コイツ頭おかしくなっちゃったんじゃないかと思われる方がいると思うのですが、もしよければ、この実験の動画がありますのでご自身で体験してみてください♪(#^^#)↓↓↓(全部で8本です。)
内側と外側の境界はどこにあるの…?
常識的に考えると「いや、頭は普通にあるでしょう。目の位置はここにあるのだから当然だ。鏡で見たらちゃんとあるし…。」
と、思考が騒ぎだしてしまうかもしれません…(;^ω^)
ですが、私はこの実験を散歩しながら「田んぼ、車、道、コスモス…etc.」という具合にやって、最後に「私」と指さしてやってたんですね。
すると、冒頭にも書きましたが不思議な感覚になりました。
「私はどこにいるの…?」って。
「私の指、私の足、私の腕…」でも、肝心の私はどこ…?
今まで、自分の「体」を境界線に内側と外側に分けていたけれど、なんか違う。
勉強している本に書いてあるような大きな気づきでは無かったのですが、「私が実際に見ている世界と、頭の中で思い込んでいる世界は違う!」ということに改めて気づきました。
「真実」がいとも簡単に体験できる、とのことなので、興味がある方は是非とも一度試してみてください(^^)
記憶の改ざん!?「私」というイメージ映像
さて、話は変わりますが、例えば「友達と喫茶店でお茶して楽しかった」というような、自分についての記憶を思い出す時、皆さんは脳内でどんな映像が浮かびますか?
上記の例で答えるならば、「自分」と「友人」を含む喫茶店の店内や、食べたお菓子、お茶などを思い浮かべるのではないでしょうか。
もしかしたら、そうでない人もいるかもしれませんが、私の場合は、周りの風景を含め「自分」の笑った顔、怒った顔なども一緒によみがえるのです。
ですが…、ダグラス・ハーディングの実験をしてから、「ちょっと待てよ?」と思いました(;^ω^)
「私の顔なんて、私は自分で見てないはずだ…!」と。
「お散歩が気持ちよくて楽しかった~!」の記憶の改ざん
「お散歩楽しかったなぁ」と記憶を辿る時、私は脳内はこんな感じです↓↓↓
しかし、実際はこうです↓↓↓
「私」がいません。いったい、「私」はどこにいるのでしょうか?(;^ω^)
「私」という個人のイメージ
このことに気づいてから「なんて記憶はデタラメなんだ!(笑)」と可笑しくなってしまいました。
私はずっと「真実」とは違う景色を見ていたのです。
「私」という言葉を発するとき、私は「これまでの人生、あらゆることを経験して体験してきた私」という形を思い浮かべていました。
けれど実際、本当に「私」が体験して、経験しているのでしょうか?
悟りや非二元の世界では「ただ在る」という言葉が頻繁に出てきます。
残念ながら、まだこの意味を理解していないのですが、今回のことで、何やらこれまで「自分」が体験してきたと思われる全てのことが、ただ在って、それを見ているだけのように感じられました(;^ω^)
少しずつ、「私」というイメージが崩壊しかけてきています。
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