悟りたいブタ

あのたまメンタルWORLD

瞑想を始めて一か月半…!気づきと体験を語る

瞑想

「今を生きる」のが難しい理由が分かった…(笑)

こんにちは、あのたまです。

瞑想を始めてから、あっという間に一か月半が経ちました。

瞑想は過去、これまで何度も習慣化させようとしていたものの、なかなか継続ができませんでした(;^ω^)

しかし最近では「瞑想をしない日はあり得ない」という気持ちになりつつあります。

やはり、せざるを得ない状況になると、それが当たり前になるものなのですね(笑)

 

そんな訳で今回は探求の記録用として、瞑想を始めて一か月半が過ぎた時点での気づきと体験についてまとめてみたいと思います~(^^♪

どんな瞑想をしているのか…?

と…その前に。まず私がどんな瞑想をしているのかご紹介したいと思います。

今はネットで「瞑想」って調べると、色んな瞑想法がありますよね。

呼吸に意識を向けたり、音に意識を向けたり、チャクラに意識を向けたり…。

「多すぎて一体どれをやれば良いの~?」という感じになってしまいますが、私が習っている先生曰く「どんな瞑想をしても「今」をただ見ることなのは変わりないので形にこだわらなくていい」とのことでした。

先生自身も日替わりで色んなパターンで攻めてくるので、私自身も、その時の気分に合わせて変えています。

とはいっても、あんまりコロコロ変わるのが嫌なのでメインは二つに絞っています。

一つは宝彩有菜さんのマントラ瞑想、そしてもう一つはヒーリング瞑想です。

前者は、過去にこの瞑想方にハマっていた時期があり馴染みがあるんです(^^♪ ↓↓↓

www.hosai.net

後者は勉強しているコミュニティで教わったボディタッチをしながらする瞑想なのですが、これは自分にはとても合っているので採用しました。

まず、このどちらかを15分くらいやって、大まかな雑念を払います。

(何か嫌な出来事が起きて、気持ちが大きく引っ張られるようなことがあったら観念浄化ワーク、感情開放ワークを先に済ませておきます。)

兎にも角にも、ある程度、頭をスッキリさせて状態を正常にしておくんですね。

でないと「集中できない。深い瞑想に入れない。」と気づきました…(笑)

そして、その後はマントラ瞑想をそのまま続けるか「目を開けてただボーっとする(思考、感覚、感情、目の前に映る全てをただ見る)」というのをやっています。

「ただ見る」のはコミュニティでもメインメソッドとして扱われているので、今後はこれをメインにやっていった方が良いのかもしれません。

一人でやるよりは深く瞑想に入れる人とやった方がより深く入れると、以前アドバイスをいただいたことがあるので、先生の誘導瞑想動画もときどき、活用しています。

気づき:脳内ゴミだらけ…!過去と未来しかない思考

それでは、瞑想を始めて一か月半の気づきです。

それは「脳内はゴミだらけだったんだなぁ…」ということです…(笑)

私は過去、瞑想をする際は、より良い自分になることを目的として瞑想の効果(メリット)にばかりに気を取られていました。

そのため、当時は思考(自我)がどんなものかをよく理解していなかったんですね。

しかしながら、今は知識面の方でも色々と教わっている部分があり、過去と比べて「思考(自我)とは何なのか?」というのが瞑想を通して体感している感じがあります。

冒頭の4コマで書きましたが、思考は本当に「過去」と「未来」のことしか喋っていません(;^ω^)

これって、瞑想の本には大抵どこでも書いてあると思うんですが、ずっと読み流していたことに、改めて気づきました。

前回の記事で書きましたが、ダグラス・ハーディングの実験で感じた違和感、脳内の記憶がいかにデタラメで、ありのままの現実を見ていないことにも気づいたことで、ぼんやりしていた部分が確信に変わった感じでした。

ダグラス・ハーディングの実験の記事↓↓↓

mental.anotama.com

なぜ生きるのが辛いのか…?なぜネガティブな感情が湧いてくるのか…?

どうして自分はもっと穏やかに生きられないのか…?

今まで、私は自分についての色んなことに悩んできました。脳内で…。

ですが、本当に…全部…勝手に湧いてくる思考(自我)!

誰と戦っているのか、何に警戒しないといけないのか。

今まで悩んでいたことって全部なんだったんや…。という気持ちでいっぱいです。

体験:静けさと生きてる喜び

さて、そんな気づきを得ながらも、なかなか深い瞑想に入ることは出来ません。

というのも「思考に気づいている思考」や「無思考になろうとする思考」に翻弄されてしまうからです…(;^ω^)

「期待」が本当に邪魔で、最近では、雑念も始めたころより増えてうるさくなってきた気すらします。瞑想がどんどんヘタッピになっているようです。

(これについては「今まで気づかなかった思考に気づいているから問題ない」とのことですが…本当に大丈夫…?)

ただ、こんな具合になる前に瞑想中に一度「ものすごい静けさ」に包まれました。

けれど「静かだなぁ~」と思った瞬間またザワザワし始めました。

また、瞑想中に突然「生きてるって素晴らしい!喜び!」みたいな気持ちが底から湧いてきてビックリしたんですが「これはなんだ!?」って思った瞬間なくなりました。

「瞑想中の体験は大切にしないように」と言われているの掴まないようにしたいと思いますが、本当に一瞬でしたが、とても気持ち良かったです(^^♪

最後に…瞑想によって変化している気持ち

瞑想はまだまだ始めたばかりなのですが、こんな具合です。

「今」を「ただ見る」って本当に退屈ですね…(笑)

これっぽっちも、ぜんぜん楽しくありませんよ!!

(↑上記の気づきと体験のおかげで、モチベーションは下がっていませんが…。)

瞑想をしている時間はその日によってかなり違いますが、先生には「10分20分、座った程度ではどうにもならない」と言われているので、コミュニティの仲間のように「気付いたら2時間、3時間が経っていた」ぐらいまでには、なりたいものです。

因みに、今はまだ全然です。

まだまだ先は長いですが、ぼちぼちやっていきます(#^^#)

ところで、最後に瞑想によって変化している気持ちについて書いていきたいと思います。

それは、今まで「これが自分にとって何がなんでも大切だ」というものが「そうでもない」という感じになってきたことです。

例えば「あのたま」というキャラクターとか…(笑)

もうなんていうか、これまで目指していた「オンリーワン」とかじゃなくて、全体の中の一つでいい。目立たなくていい。という気持ちがゆらりゆらりと湧いてきています。

どんどん、つまらない、退屈な人間になっていきそうです。

(今まで自分が楽しい人間だとも思っていませんが、感覚的に…w)

 

以上、瞑想の記録でした(^^♪

「頭」がない?「私」がいない?…ダグラス・ハーディングの実験

こんにちは、あのたまです。

皆さんは「ダグラス・ハーディングの指差し実験」をご存じですか?

「悟り」や「非二元」の方を探求していると、よくこの実験が紹介されていることがあるので、もしかしたら一度は耳にしたことがあるかもしれません。

私自身も、そういう意味で何年か前からこの実験の話は知っていました。

しかし、ちゃんとやってみた、というのは実はつい最近のこと…(;^ω^)

そして、実際やってみて…。

「!!!!?…」という、なんとも言葉に出来ない感覚を味わったので、せっかくなのでそのことについて書いてみたいと思います♪(#^^#)

ダグラス・ハーディングの実験とは何か…?

人差し指を突き出して、周りに見える「物」を指さしていきます。例えば、部屋の中にいたら、カーテン、机、スマホ、プリンター…etc.、といった具合に。

人差し指は物質です、さされた物も物質です。「物質」対「物質」ですよね。

そして、自分の膝、足、腕などを指さします。お腹、胸へと場所を移動して続けます。

最終的には自分の顔を指さします。

すると、どうでしょう…?目の前に何が見えるでしょうか…?

頭でごちゃごちゃ考えずに、ありのままを見ると…。あれ…。

自分の指…、と、そっくりそのまま、外の世界が見える。

自分の顔があると思っていたところ、頭があると思いこんでいたところに、顔が無い!

頭がない…!?

さて、ここまで読んで、コイツ頭おかしくなっちゃったんじゃないかと思われる方がいると思うのですが、もしよければ、この実験の動画がありますのでご自身で体験してみてください♪(#^^#)↓↓↓(全部で8本です。)

www.youtube.com

内側と外側の境界はどこにあるの…?

常識的に考えると「いや、頭は普通にあるでしょう。目の位置はここにあるのだから当然だ。鏡で見たらちゃんとあるし…。」

と、思考が騒ぎだしてしまうかもしれません…(;^ω^)

ですが、私はこの実験を散歩しながら「田んぼ、車、道、コスモス…etc.」という具合にやって、最後に「私」と指さしてやってたんですね。

すると、冒頭にも書きましたが不思議な感覚になりました。

「私はどこにいるの…?」って。

「私の指、私の足、私の腕…」でも、肝心の私はどこ…?

今まで、自分の「体」を境界線に内側と外側に分けていたけれど、なんか違う。

勉強している本に書いてあるような大きな気づきでは無かったのですが、「私が実際に見ている世界と、頭の中で思い込んでいる世界は違う!」ということに改めて気づきました。

「真実」がいとも簡単に体験できる、とのことなので、興味がある方は是非とも一度試してみてください(^^)

記憶の改ざん!?「私」というイメージ映像

さて、話は変わりますが、例えば「友達と喫茶店でお茶して楽しかった」というような、自分についての記憶を思い出す時、皆さんは脳内でどんな映像が浮かびますか?

上記の例で答えるならば、「自分」と「友人」を含む喫茶店の店内や、食べたお菓子、お茶などを思い浮かべるのではないでしょうか。

もしかしたら、そうでない人もいるかもしれませんが、私の場合は、周りの風景を含め「自分」の笑った顔、怒った顔なども一緒によみがえるのです。

ですが…、ダグラス・ハーディングの実験をしてから、「ちょっと待てよ?」と思いました(;^ω^)

「私の顔なんて、私は自分で見てないはずだ…!」と。

「お散歩が気持ちよくて楽しかった~!」の記憶の改ざん

「お散歩楽しかったなぁ」と記憶を辿る時、私は脳内はこんな感じです↓↓↓

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「私」が公園でくつろいでいる姿

しかし、実際はこうです↓↓↓

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「私」なんて見えていない!

「私」がいません。いったい、「私」はどこにいるのでしょうか?(;^ω^)

「私」という個人のイメージ

このことに気づいてから「なんて記憶はデタラメなんだ!(笑)」と可笑しくなってしまいました。

私はずっと「真実」とは違う景色を見ていたのです。

「私」という言葉を発するとき、私は「これまでの人生、あらゆることを経験して体験してきた私」という形を思い浮かべていました。

けれど実際、本当に「私」が体験して、経験しているのでしょうか?

 

悟りや非二元の世界では「ただ在る」という言葉が頻繁に出てきます。

残念ながら、まだこの意味を理解していないのですが、今回のことで、何やらこれまで「自分」が体験してきたと思われる全てのことが、ただ在って、それを見ているだけのように感じられました(;^ω^)

少しずつ、「私」というイメージが崩壊しかけてきています。

 

私についての他の記事↓↓↓

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「私」とは一体なんなのか…?

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これらを合わせて「私」と思っていたけれど…?

こんにちは、あのたまです。

皆さんは「私とは何か?」と聞かれたら、どのように答えますか…?

もしかしたら真っ先に「体!」とか「心!」と思い浮かぶ人が多いかもしれません。

かくいう私も、これまで疑うことなく、そんな風に思っていました。

ですが、もしも本当に「体」が「私」ならば、私の思うように動いてもいいはずなのに、体は「私」の意図を反して勝手に病気になるし、車が突っ込んできたら勝手に避けたりします(←何年か前、経験しました…(笑))

そのため、体に関しては早い時期から、なんとなく「体は私じゃないのかも」と感じるようになったのですが、目に見えない世界の話が好きな私は「心は私なのだ!」という気持ちが、なかなか抜けなかったんです。

ですが、長年、感情開放セラピーをやってきたことで、その考えに変化が生じるようになりました。

感情はコントロール出来ない

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感情はただの感情でしかなかった

ポシティブであれネガティブであれ、大きな感情が動くと体のどこかの部位がギュっと締め付けられたり、呼吸が浅くなったりしませんか…?

そのため、これまで私は「この感情は「私」から生まれた感情なのだ」となんの疑いもなく思っていました。

ですが、「私の感情」ならば「私」がコントロール出来ても良いはずなのに、これっぽっちも思い通りにできません(笑)

  • 憎みたくないのに憎んでしまう
  • もっと優しく接したいのにイライラしてしまう

数えればキリがありませんが、まさにこんな具合で手がつけられません…!

感情は「私」の意図に反して勝手に湧いてきて勝手に大暴れして、勝手に去っていく…、というものだと気づきました。

思考はコントロール出来ない

悟りたいブタ

まさに衝撃の事実…!(笑)

そして、それは「思考」も同じでした。

思考をただ眺めていると、ものすごい量の言葉や映像がポンポン現れては消え、現れては消え…を、繰り返していることに気づきました。

これまで「思考は「私」が考えている!」と思っていたので、この勝手な動きには正直おどろきでした。

「思考はコントロール出来る」とか普通に思ってたんですが、もはやコントロールどころではありません。

もしかしたら、今までごちゃごちゃ悩んでいたことも「ただ、現れている思考を、思考が追っているだけだったのでは…!?」と、残念な気持ちになってしまいました…w

私はいったいどこにいるの…?

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何もかもが、現れては消えていく…

さて、こんな具合で、これまで「私」だと思っていた「思考」や「感情」、ついでに言うと五感の「感覚」や過去の「記憶」などが、全くコントロール出来ない、思い通りにならない、ただの「現れ」であると気づきました。

「これが私だ!」というのが、なんか思ってたのと全然、違う!

そんな気持ちになってふと冷静になった時、ある疑問が湧いてきました。

「それなら、私っていったいどこにいるの…?」と…。

そして、そうやって探していくと、「私」って見つからないんです。

「私なんていないんじゃないか…?」って、だんだん思えてきちゃうんです。

悟りたいブタ

ワタシを探すブタ

わたし=思考=自我

これが「私」だと思っていたものが、なんか「私」の思い通りにならないと気づいて「私は私じゃないかもしれない」と感じたこと。

「わたしわたし」と言っているのが、思考であること。

(でも、これはさっきも言ったように、勝手に表れて消えています。)

そして私が「私は…」と言う時、いつも「私」という言葉に連想される、私のイメージ(観念)を思い浮かべてるということ。(これが自我ですよね。)

これによって、「私」と「私以外の何か」に区別して、いつも物事を見ているのだということ。

残念ながら私はまだ、この段階までしか理解と体感が進んでいません。

この先の話になると、訳が分かりません…(;^ω^)

 

ただ、先生曰く、それは思考には理解できないから当然とのこと。

なぜなら、悟りの状態(見性体験)とはこの「私=思考=自我」がなくなり、自他の境界が無くなる状態のことだからです。

なので「私」がいる限り、分からないのですって。

「私」と「私以外」の境界線が消えたとき、在るのは「気付き」だけと分かるのだとか…。

 

願わくば、覚者の方々や見性体験をしたことがある方々がおっしゃる「ワンネス」の世界を体験してみたいものですね…♪(^^)

悟ると、どんな良いことがあるの…?

悟りたいブタ

10年前と比べたら、本当に楽になった!

こんにちは、あのたまです。

前回は主人の質問をきっかけに「なぜ、悟りたいのか?」ということについて、体験を交えながらお話ししました(^^)

今回はもう一つの質問「悟ると、どんな良いことがあるのか?」ということについて、お話していきたいと思います。

悟ると、どんな良いことがあるのか…?

まずは結論からですが、私は見性体験というものをしたことが無いので、正直、悟るとどうなるのかが、全く分かりません…(笑)

ただ、今まで、そして今、師事している先生のお話を聞くと「自分が存在していないことによる至福感が得られる」とのことです。

よく言われる、ドラマによって一喜一憂する安心感ではなく、恒常的にずっとある「安心感」のことですね…(^^♪

悟った後も、相変わらず(自我にとっては)嫌なことは起こるし、ネガティブな感情や思考が消えるわけでは無いけれど、以前のように飲み込まれることは無くなるそうです。

ただ、一度「見性体験」が起きたぐらいでは「魔境」に飲み込まれる可能性があるとのことらしいので、道のりは本当に長そうですね~…(;^ω^)

覚者の体験談は興味があるので読んだり聞いたりしてはいるのですが、知識として頭に入っていても、やはり体験していないと、こればっかりは分からないのでしょうね。

浄化ワークをすると、どんな良いことがあるのか…?

さて、「悟り」はこんな具合なので、速攻で記事が終わってしまいますね…(笑)

なので、せっかくなのでここでは、私がこれまでしてきた「浄化ワーク」について、良かったことを書いていきたいと思います。

これらのワークはお金がかからず一人で出来るものなので、オススメです(#^^#)

私が今までしてきたワークは漫画で描いた通り、主に以下の二つです。

  1. 感情開放(EFT
  2. ビリーフ(思い込み)を取る作業

1.はネガティブに感じる他者や状況に対して、感情を逃げずに感じること。

2.はそれに付随する自身の思い込みを書き出して気づいていくことです。

(後年「奇跡講座」に出会うことで、2.は赦しの実践のような感じになり、今は「観念浄化ワーク」という形になっています。)

 

これを地道に続けてきたことによって、得られたメリットは主に3つでした。

  • 過去が癒されて、あまり昔のことを思い出さなくなる
  • 目の前の嫌な人や状況がクリアになり「問題」が無くなる
  • 相手を赦すことで自分を赦せるようになってくる

この3つのことを書いてみたいと思います。

過去が癒されて、あまり昔のことを思い出さなくなる

目の前の嫌なこと、過去にあった嫌なことをに付随する感情を浄化していくことによって、私は過去の思い出(記憶)によって苦しむことが少なくなりました。

一番ひどい時は、それこそパニックになり発狂するような時もあったのです。

両親のこと、お友達のこと、職場での出来事…etc.。

あの時ああしてくれなかった、こうしてくれなかった…!!みんな大嫌い!!!

ですが、ワークをやり始めてから一年くらい経った頃でしょうか。

過去のネガティブな感情に引っ張られることが少なくなって、精神的にかなり楽になり、それは年々、増していっています。

目の前の嫌な人や状況がクリアーになり「問題」が無くなる

感情を解放したり、他者や状況に対する自分のネガティブな思い込みを取っていくことによって、それまで問題だった目の前の出来ことが、問題では無くなります。

それは、状況が変わるというよりは、自分の見方・在り方が変わる感じです。

先にそのような変化が自分の中で変化が起きると、自然と目の前から、今まで自分を悩ませていた人がいなくなることもあります。いなくならなくても、もはや問題では無くなるのでどっちでもいいです。

嫌なことが起こってネガティブな感情に支配されて悩むことは日々あるのですが、立ち直るまでの時間がかなり早くなりました(^^)

相手を赦すことで自分を赦せるようになる

他者に対して抱いているネガティブな感情と思い込みを手放すことによって、実は赦せなかったのは「相手ではなく自分」であったと気づきます。

そして「相手を赦すことは自分自分を赦すことだ」と身をもって体験するのです。

「赦す」というと、なにかこちらが譲歩して「上から目線で赦している」ような印象を受ける方がいるかもしれませんが、そうではなく心から「相手と自分は同じなのだ」という気持ちになるのです。自分を赦せると当然ですが、気持ちは「楽」になります。

浄化ワーク後に「願望実現」にハマってしまう!

これまでやってきたワークは、よくセラピストさんが言われるように「玉ねぎの皮を一枚一枚むくような作業」でした。

確かにやればやるだけ、目の前には問題が無くなり心身がとても楽になっていったので、私はそこで「もう大丈夫だ~!!」と勘違いしちゃったんですね。

自分では自覚は無かったのですが「自己実現」や「願望実現」に走っておりました(笑)

そして、気づいたら欲望の渦に巻き込まれ、苦しくなっていたのです!(;^ω^)

お世話になっている先生がた曰く、結構そういう人は多いらしいのです。

ワークをやって楽になってしまったので、また「人間ドラマ」に戻ってしまう…、と。

もちろん、それが良いとか悪いかという話ではありません。

ですが、私にとっては違ったようです。

「あ~、悟りに興味あるとか言って現実逃避になってないかなぁ…」

「なんで自分は普通のことに興味が持てないのだ!…ホント嫌!」

なんて脳内に響き渡る声を聴きながらも…。

拭えぬ違和感…。私が見てみたい世界、居たい世界はこっちじゃない。

「また、戻っても良いんですよ…?(どうせこっち側に来ると思いますが…)」という先生とのセッションで言われた言葉を思い出す日々。

あ~、ダメだ。全く無駄だったとしてもやってみたい。

このように遠回りをして、本気で「瞑想をしてみよう」と決意するのでした。

瞑想を習慣化しよう!

悟りに興味がある方ならば、誰もが「瞑想」に興味があるのではないでしょうか…?

かくいう私がその一人!なのですが、瞑想って正直あまり面白くないですよね…?(笑)

上記の浄化ワークをすれば脳内もかなりスッキリすることもあって、この2つの理由でこれまで、どうしても習慣化することが出来ませんでした。

ですが、ネット上で私が尊敬する悟り方面のお話されている皆さん…ブログとかサイトを見ると、やっぱり長年、瞑想してるんですよね…(;^ω^)

もはやこれは避けて通れぬ。

幸いにも習慣化を手助けしてくださる先生に巡り合えたので、日々の浄化ワークに加えて、瞑想も淡々と、コツコツと続けていければと思います。

また、瞑想によって変化があったら、ブログでお伝えしていきますね。

おまけ:奇跡講座のこと

悟りたいブタ

奇跡講座は本当に難しい…!

上記の4コマでも少し触れましたが、私は一時期、西洋版「悟りの書」と言われる奇跡講座を勉強していました。

ワークブックも約一年半で終えて、その後もちょくちょく読んでいたのですが…。

ある時、とある先生の公開カウンセリングで、奇跡講座についての質問がありました。

テキストの内容においてのものでしたが、先生もおっしゃる様にその方が「考えすぎ」「頭でっかち」になっているように感じました。

そして同時に「自分もそうなっちゃってるかも…!?」と気づいたのです。

テキストの内容を理解しようとしすぎて、違う方向へ行っちゃってるのでは?…と。

そういう訳で、今はいったん「奇跡講座」と距離を置いています。

もともと、私の知的レベルではハードルが高いと感じていた部分もありますし。

またご縁があれば戻ると思うので、現在は私の脳みそでも理解できる学びを提供してくれる先生のもとで、自我に警戒して、同じゴールを目指して学んでいきたいと思っています…(^^♪

あ、因みに「奇跡講座」はオススメしません、難しいので…(笑) 参考まで…♪

前回のおはなし↓↓↓

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なぜ、悟りたいのか…?

悟りたいブタ

自分の気持ちがなかなか伝わらない…(笑)

こんにちは、あのたまです。

先日、主人から「なんで悟りたいの?悟ると、どんな良いことがあるの?」ということを質問されました。

「成り行きでこうなった」というのが正直のところなのですが、とりあえず、今までの歩みを説明したら、理解できないみたいで「??」という様子だったんです。

どうやら、お互い考えていることがあまり違いすぎてるみたいですね…(笑)

ですが、なかなか良いテーマだと思ったので、今回と次回はこのことについてお話したいと思います(^^♪

なぜ、悟りたいのか…?

悟りたいブタ

「もういい加減ウンザリだ!」という気持ち

このブログは少なからず「悟り」に興味がある人が読んでくれていると思っていますが、皆さんが「なぜ悟りたいのか?」「なぜ悟りに興味があるのか?」と質問されたらどのように答えますか…?(^^♪

私の場合は、ぶっちゃけていうと「成り行きで…」というのが本当のところです。

自分の中の悩みや苦しみをどうにかしようと思って勉強してたら、いつの間にかこっちの方面に来ちゃいました…、という感じです。

ですが、キッカケはちゃんとあって、それは漫画の通りですが「もう二度とこの世に生まれてきたくないから…」というものでした…(笑)

輪廻転生や前世の概念を知って、幸せな人生であれ不幸な人生であれ、とにかく「もう人生にはウンザリだ!」という気持ちが強く湧いてきたのを覚えています。

そのため、悟りの話を見聞きして「今の人生を最後にするならば、解脱するしかないな…」なんて考えたのかもしれません。

何がウンザリなのか…?

ところで一体、何が「ウンザリ」だったのでしょうか?

当時は自分でもよく分かっていなかったのですが、今ならそれがよく分かります。

それは「人生をより良くしたい」という「思い」を根底にした「人生のドラマ」に、心底ウンザリしていたのです。

「今」よりも、もっと「素敵な」自分になりたい。ならなければいけない。

そのために「頑張って」「行動」して、一喜一憂する感動ストーリー。

 

私は人生を通して、形を変えて同じことを繰り返していたのです。

本当のことが知りたい…!

さて、そんなことに気づいて世の中を見渡した時に、結構たくさんの人が自分と同じように「より良い人生になるため」の人生を送っていることに気づきました。

(本人が自覚してるにせよしていないにせよ。)

そして、そういう人たちが、いつも「悩んで迷って苦しんで」いたんですね。

ところが一方で、そうではない人たちもいたんです。

それが「悟っている人」と言われているような人たちです。

悩みや迷い、争いといった苦しみの世界から完全に抜け出しているような人たちが確かにいる。

私が小さい頃から知りたいと思っていた「この世の真実」を知っていそうな人たち。

もう何も良くならなくていいから、言葉や頭の理解ではなく、彼らの言う「至福」の境地を「体験」してみたいと思いました。

「悟りたい」という人生のドラマ

しかしながら、この「悟りたい」という気持ちもまた「人生をより良くしたいドラマ」なのではないか…?と、ある時に気づきました…(;^ω^)

「悟りたい」と思っているということは「私は悟ってない」と宣言しているのと同じことなので「悟りたいと思ってる限り悟れないじゃん!」というオチがつくのです。

自分でも少しおかしくなってしまいましたが、先生にそのことを相談したところ「その欲求は無理に抑える必要はありません」とのことでした…(笑)

まぁ、またそのことで悩みにハマっても仕方ありませんしね。

世の中の人がそれぞれの人生を生きていると思いますが、私はその中でただ「悟りたいドラマ」を生きているのだと思います。

せざるを得なくてやってきたこと、それが私にとっての「悟りの道」です。

悟りたいブタ

それ以外の興味のある選択肢が無かっただけ…(笑)

おまけ:夫婦間における悩みの違いについて

最後に、おまけで冒頭でお話しした主人と私の違いについてご紹介したいと思います。

mou-dameda.com

私の主人も趣味でブログを書いているのですが、主人から見た私はひどく「深刻」そうに見えるらしいのです。(これは友人にも言われたことがあります…w)

私からすると、ただ目の前の問題に向き合っているだけなのですけどね…(;^ω^)

一方、私から見た主人は、悩みが少なさそうでいつも穏やかな感じです。

人の悪口を言ったり人間関係で悩んでいるのを、ほとんど見たことがありません。

なので、とても羨ましいんですよ(^^♪

私はずっとそのようになりたいと思って、勉強し続けてきたのですから。

読者の皆様にはこの夫婦間における違いを見ていただくことにより「人間はこんなにも違うのだ」とということの参考の一つにしていただけたらと思います…(笑)

(それにしても、一コマ目はずいぶんと昔の姿なんですけど…!(;^ω^))

 

続き↓↓↓

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はじめに

悟りたいブタ

争いのない世界ってどうやって出来るの…?

はじめまして、あのたまです。

このサイトに来ていただきありがとうございます(*´ω`*)

ここでは自身の生き辛さの悩みを解消するために、あれこれと学び実践して役に立ったなぁと思えるスピリチュアル・悟り・非二元の教えや、気づきなどをシェアしていければと思います。

これから、どうぞよろしくお願いいたします~♪(^^)

「世界」が平和になりますように…!

皆さんにとって、この世界はどんな風に映るでしょうか…?

私は小さい頃から、この世界に何か得体の知れない「違和感」を感じていました。

夕日や星空、自然はこんなにも美しいのに、人の世界はいつもドロドロしている。

世の中には、頭の良くて立派な人たちが沢山いるはずなのに、

何故、いつまでも争いは続いているのか…。

何故、いつまでも憎しみ合っているのか…。

何故、貧富の差は埋まらないのか…。

「全員」が「幸せ」に微笑んでいる世界が未だ実現しないのは一体なぜなのか…?

小学生の頃、社会の授業で人類の繰り返される争いの歴史を学ぶたびに、そんなことをぼんやり考えていました。

悟りたいブタ

平和について考えるブタ

そして、自分が社会の一員であるという自覚が生まれると「平和のために、社会全体のために、私に出来ることってなんだろう…?」なんて気持ちも芽生えてきました。

通学の電車の中で「海外青年協力隊」とかの広告が目に入る度に「これはどうだろうか…?」と、身の程しらずにも興味を抱いていたものです。

「世界」のことを考える前に、まずは「自分の周り」から…

悟りたいブタ

マザー・テレサの言葉に、従うことにした

そんな中、私は格言集のような本でマザー・テレサの言葉に出会います。

「 世界平和のために何ができるかですかって? 家へ帰って、あなたの家族を愛しなさい。」

ズコーンと頭を打たれたような気持になりました!

それまで世界の平和のためには、自分は何か外側に向かって特別な行動を起こさないといけないと思っていたからです。

ですが、マザーの言葉のように、一人ひとりが自分の身の回りの人を愛していって、それをみんながやったら…。確かに、世界平和につながる…かも!

内容はシンプルで地味ですが、とても説得力があるような気がしました。

それ故に、私はこの言葉に従ってその通りに生きていこうと決意したのです。

一人ひとり(私)の心の中に争い(戦争)がある

しかし後々、これがとんでもなく難易度の高いレッスンだと気づきます。

何故なら家族(他者)を愛するどころか、自分自身すら全く愛していなかったのですから…!(笑)

あいつが嫌い。あいつが憎い。あいつが許せない…。

自分がいつも、心の中で「小さな戦争」を繰り返していることを自覚しました。

「私」の中に、争いがある…。

世界平和とか言ってる場合じゃありませんでした(笑)

私は自分の「心の闇」に真正面から向き合うことを決意したのです。

「わたし=あなた」が平和になりますように…!

皆さんが今、自分の周りの人間関係や環境を見回した時、どんな心地がしますか?

穏やかで温かい人たちに囲まれてるでしょうか…?

いつもピリピリして、他人を批判するような人たちに囲まれているでしょうか…?

もしかしたら、これまで「そんなことすら考えたことも無い」という人もいるかもしれませんね(*´ω`*)

 

私の場合は、20代まではキツくて厳しい人たちに翻弄されては、いつも心が落ち着かず、イライラと怒りの気持ちの中で日々の生活を送っていました。

しかし、自分の中の「小さな戦争」に気づいてその都度それを癒していき、「争い」が小さくなっていくと、不思議と身の回りの人間関係と環境、目の前に見える景色が穏やかに変わっていくのを体験しました。それは現在進行形で続いています。

 

もしも「今の現状が苦しい・辛い!もうやってられん!」という方がいたら、自分の内面の在り方を変えていくことで、一緒に「平和」への道を歩みませんか…?

周りに敵を作って攻撃的に生きるより道よりも、はるかに楽で穏やかな道です。

おや…「ちょっと脳内お花畑じゃない?何キレイごと言ってるの?」なんて声が聞こえてきそうですね…(笑)

確かにおっしゃる通りかもしれません。ですが、この道こそが、特別な能力が無い私のような凡人でも出来る世界平和への唯一の道だと信じてやみません。

わたしが、そしてあなたの心に「平和」の光が訪れますように…!